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遠賀川上流(嘉穂盆地)の旧石器と立地

  かって、私は嘉穂盆地において確実な旧石器の発見がないとして、縄文の立地からアプローチを試みた。特に、早期前半期の刺突文や条痕文、撚糸文土器の分布から遠賀川(嘉麻川)流域と穂波川流域それぞれに標高を求め、60mあるいはそれ以上の高所、つまり、旧嘉穂町や筑穂町といった河川の上流部を予想したのである。

  その頃の情報としては、立岩発見とされる局部磨製石斧が神子柴タイプとして旧石器末~縄文草創期頃に位置付けられた。しかし、発見は戦前にさかのぼり、採集地点が不明である点に加え、立岩丘陵から縄文あるいはそれ以前の遺物の発見が報告されておらず、資料として万全ではなかく、遊離した単独資料として自分の中では位置付けていた。

 

 「ここで、失礼しますが、遠賀川床採集の沈線文と連続刺突文、口唇刻目文の不明土器(飯塚歴史資料館蔵)は、曽畑式のようです。1960年代でしょうか、長崎県五島の貝塚から出土した資料に類似するようです。遠賀川のものは刺突文が椎屋形遺跡の爪形文のように見え、期待しましたが、縄文前期なんでしょう。」

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